漠然と「社会を変える何かをしたい」と思っているあなたへ : 中野で実際に変え始めた男の話

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※注:長いです

こんな人向け

  • 「社会を変えたい」と人には言うけれど、「具体的には?」と聞かれるとまともに答えられない人
  • 今流行りのベンチャー企業だけが、世の中を変えられると思っている人
  • 「アントレプレナーシップ論講座って結局どう自分に役立つの?」と思ってるい人
  • 地域の活性化というテーマに興味のある人
  • 中野という街が好きな人

はじめに

このインタビューは、2010年のアントレプレナーシップ論講座受講生で、現在中野で新しい形の地域共同体作りに取り組んでいる立石理郎(りお)に行ったものである。インタビューは同じく2010年度の受講生で現TA、宮野が行った。立石と宮野、実は元々同じチームだったが、分裂。最終的には優勝を争う2チームとなり、最終的に彼のいたチームOZが優勝した。そんな経緯がある。

彼は2010年にアントレ講座で優勝を飾った後、過去の受講生が立ち上げたベンチャーでの営業職を経て、中野で地域の活性化に取り組んでいる。そこんには、「金なし、コネなし、経験なし」のゼロベースから中野という街に飛び込んで、多くの人を動かし、実績を積み重ねているリオの姿がある。彼は講座卒業後もTAとして関わっているので、興味があったら是非話してみて欲しい。

インタビューでは、彼が受講を決めた経緯、受講したことで得られたもの、自身の大義の原点と未来、に切り込んでみた。

人が元気に生き生きいいられて、かつ成長できるような社会にしたい

—-アントレを受講したのはいつだったっけ?

M2だね。オレの場合、大学院自体が法政の政策創造研究科で、地域活性とか街作りを専門にしているとこだったのよ。大学は別のとこだけど、同じく街作りを専門にしていた。

院では商店街活性化と従業員第一主義の中小企業研究を中心にやっていて、ゼミは中小企業の社長とかが多かった。企業とかNPOベースで街を活性化するっていうのに興味が出て、そこに俺は行ったんだけど。授業でもアントレプレナーシップの講座があったりしてね。

—-大学の授業で?

そう。MBA取りにアメリカ行っていた先生が授業をやっていて、そこでアントレプレナーシップっていう単語を知ったのね。で、たまたまその言葉で検索してみたら、アントレ講座が出てきた。

—-笑

オレは、講座のメインターゲット(理系院生)じゃないわけよ。だから普通の人はさ、理系の人が多いからポスター見てっていうのが多いんだろうけど、オレは締切ギリギリにたまたまみつけて応募した。

テーマ的に起業っていうのは興味あったけど、それよりも自分の周りに理系院生っていなかったから、誰もいない世界に飛び込むのは面白いかなぁと思って
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3ヶ月の間に事業案を考える中で、その中でしかできないプランをってことで最終的に紆余曲折を経てOZスコアになったけど。オレがそれまで考えていたのはもっと抽象的にさ、人を元気に、みたいなのがおおくて。最初みや(インタビューアー)が提案した教育っていうのにも興味があったから。人が元気に生き生きいいられて、かつ成長できるような社会にしたいな〜って、凄く抽象的だけどオレが発案したプランはみんなそこだった。

最終発表会はOZスコア、その後マイケルさん(講座卒業生、現講師)のグリアで働いて、その後NPOストリートデザインに行くんだけど。

このNPO、実はできた頃は何をやるか全く決まってなかったの。アントレが終わった9月くらいに(大学院の)ゼミ生が中心になって設立したんだけど、地域活性化っていうテーマしか決まってなかった。

—-あ、そうなんだ!?

そう。俺とか理事長が中野で試行錯誤しながら活動して、街づくり活動として発展して少しづつ形になっているけれどね。今もそういう街作りみたいな活動をしてる。

後々振り返ると、ずっと一貫したテーマを持っていた

—-大学院選びに限らず、そもそもに地域活性とかの道を進んだ動機って何? 何か原体験てあるのかな?

大学生の時点で原体験のようなものは無かったなぁ。でも今後、地域の共同体が重要になるという漠然とした問題認識を持っていた。これまで会社が共同体として機能してたけど、終身雇用制度の崩壊や大企業の衰退で共同体がなくなる。だから地域共同体が必要になる。地方分権化がすすめば、官民連携と住民自治が必要になるとかその程度の認識。

そうそう、地域共同体が必要だと改めて認識を強めた象徴的な経験あったよ。

俺の幼馴染の家が火事になった。火もとは2軒隣の家だったんだけど風で燃え移って3軒とも焼けた。家が燃えた時は消防車がきて、避難場所を提供してくれたけど、行政サービスはそのあとは何もしてくれないわけ。火事のことをききつけた幼馴染の友達と幼馴染の親父さんの同僚が集まって翌日は代わりの家さがしたり、荷物を運んだりお祭り騒ぎみたいになって家が焼けたと思えないくらい賑やかだった。

でも幼馴染の隣の家はまだ引越してきたばかりで、地域につながりがなくて会社の同僚も手伝いにきてくれなくて途方にくれていた。それを見た時に思った。困った時にこそ人の繋がりや、ありがたみがわかる。行政が防災の重要性を声高に叫んで対策してるけど災害が起きた時に行政サービスだけでなんとかしようとしても絶対に無理。自発的に助け合って行動する地域のつながり、共同体が必要だとその時に悟った。

実は、大学院入る時まで空手やってたのね。始めたばっかで大した帯ではなかったけど、関東で準優勝して。結局ね、むちゃくちゃにやってて、自分で自爆して怪我したのね笑

それでしばらく空手ができない時期があって「この後の人生何やろう?」って考えてて、その時にどういう形で今の日本の社会に貢献していきたいかな〜って考えた時に、地域共同体とかの話が自分にはあった。

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—-地域活性化みたいなテーマがりおに響いたのはなんでなんだろうね?

俺は昔から祭は好きだったからなぁ。

—-あ、良く行ってるって言ってたね

夜行バスで誰も知らない祭に行ってみたりとかね。結構やってた。なんかまぁ、地域とか祭り事って好きだったよね

—-でもまぁ、祭って地域の伝統、顔だし、祭を守るのがその地域の長の目標でもあったりするからね

あれって非日常だけどさ、日常で繋がった人達が集まってるわけで。日常のつながりっていうのが無くなったら、そういう非日常もなくなっちゃうでしょ? だから地域を元気にって考えた。

みんな祭好きじゃないのかな? 俺だけ?笑

—-いい悪いは別として、色いろある中で祭から地域活性化とかへつながる道が一番響いてそれを選ぶっていうのは、やっぱ誰もが選ぶわけでもないんじゃないかねえ。他にも色々あるわけだからさ

そうだね。で、そう、だからアントレの期間中も、ビジネスプラン考えたり自分が何をやりたいのか考えたりしててさ。色々ディスカッションしながらチームで決めていくわけだけど、その時点では、リサーチしながら周りのメンバーと意見を決めていくわけだけど、自分がこういうことをやっていきたいなっていうのは無意識のレベルで反映されていたよね。

あとあと振り返ったら、その当時はわからないけれど、一貫性があるんだよね。

社交辞令で終わらせない、とにかく飛び込む

—-っていうようなアントレがありまして、そこでも活性化っていうキーワードで頑張っていて、その後グリア、ストリートデザイン。グリアに入ったのは?

あれはねぇ、創業者のマイケルさん達が面白かったから笑

—-そこでやってたのは営業だっけ?

そうだね、飛び込みでやってた。

—-それは振られるべくしてフラれたタスクだった?

まあね。でも自分の性格的にもものづくりよりも向いているかなって思った。作る人、伝える人がいて、俺は作る人にはなれないからね〜

—-その後はずっとストリートデザインに籍を?

そんなところ。

ストリートデザインに関しては、今は専属では籍は置いていないんだけど、仕事は少しづつ広がってきていて、公的なところからも仕事が入るようになった。最初作った時はは本当に何も決まってなかったからね。いやぁ、俺ホント人生ノープランだわ(笑)

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—-それは理事長もノープランだったの?

ほぼ。最初に話し聞いたけどさ、よくよく聞いたら何も考えられてなくてさ(笑)「こういう制度があるからこういう事業受託できると思うんだよね、調べておいてよ」って言われて調べてみたら、まったく違ったりとか。そんな事業受託できる余地なくてどーすんだよっていう(笑)本当に手探りだったね。

—-手探りから、何か糸口がみえるまでどれくらいかかった?

1年くらいかなぁ

最初は地域に貢献するリーダーを増やしたいと思ったんだけど、リーダーって増やそうと思って増えるものでもないと気づいた。だから、住民が無理なく参加できて結果的に地域に貢献できる仕組みをつくりたいと思った。それが結果的に街記者講座につながった。

—-その間ひたすら手探り、とにかく飛び込むみたいな?

そうそう。

もともと富士通が地域活性化団体を掲載しているHPをもっていて(まちばた.net)、
そこに自分達の活動を載せたいってやってきて。

—-向こうから来たんだ?

そう、かなり偶然だけどチームOZ(リオが所属していたチーム)の松井彩さんの友達がアントレの初回説明にきててそこで、まちばた.netのことを紹介してくれた事がきっかけで取材にきた。不思議な縁だよね。

取材にきた富士通の人にどういうことをやっているのかを聞いたら、ボランティア記者の育成をしていると。それが理念ベースで俺がやりたい事と通じていたから、それを是非とも中野でやりたいと言って。

—-元々富士通がやってたのね。そのスピンアウトを作ろうと?

そのまま社交辞令で終わっていたら何も始まらなかったんだけど、記者育成講座の最終日に呼んでもらって、話す機会までもらっちゃって。これは絶対中野でやりたいって思った。

半ば強引に中野でやることをとりつけて、それを中野でローカライズして。だから今は富士通がやっているのとは別物になっているんだけど、富士通ものれん分けみたいな形でどんどん増やして行きたかったみたいで。今、全国でやってるんじゃないかな?

—-じゃ、そういう全国のれんわけの先駆者が中野だったと
そうだね

—-そもそも富士通はどんな人をターゲットにしてたのかな?

もともと神奈川県で、退職した人とか専業主婦をターゲットにしていて、中野も最初は同じターゲットにしてたのね。でも2回目は、街作りとかに元々関心があって活動していた人をターゲットにした。

後から気づいたけど、前向きに人を動かす方法をアントレで学んだ

—-アントレで学んだことって何か生きていた?

自分でゴールを設定して、アクションしていくっていうのを講座で経験したんで、NPOで中野で全くつながりのないゼロベースから成果を出すっていうので生きてきた.

—-そういうのを得られると思ったからアントレを受けた? それとも受けてみたらそういった力を結果的に養えた?

それはねぇ、そういう思考ができるって、受けた後に気付いた。俺って、ノープランでがむしゃらに突っ込んでいくけれど(笑)、どういうプランでがむしゃらに突っ込んでいったら人を動かして物事を前に進められるかっていう経験はアントレでできたよね。

だから中野でボランティア記者やる時さ、最初知り合いがいないんだけど。数ヶ月の準備期間で協賛団体が3〜4ついたし、広報も無料で協力してもらった、中野区の公共施設にチラシをばらまいてもらって、一人で区内の掲示板300箇所くらいにチラシ貼って参加費1万円の講座に20人くらい集めた。この時に中野の色んな人と縁ができて、熱い人が多いな〜って。それで中野を好きになり、気づいたら住んでた。

—-参加費1万て!!

これねぇ、最初相場は500円て言われたんだけど、それだけの内容だと思っていよ。実際に受講生の満足度が高くて1万円でも安いくらいと言われたし、講座にJCN中野というシティテレビの取締役がきてたんでけど講座をかなり気にいってくれた。第2期を一緒にやりましょうとという提案をいただいて第2期はJCN中野と一緒にやることになった。JCNグループは支社が沢山あるんだけど他の支社の人もよく見学にきていて、今では他の支社でも記者講座やってるみたい。(JCNはJCOMになりました)

—-1万円かぁ・・・確かにそれは何かやってやろうって思わないと集まらないし、集められないよね

社会福祉協議会の人には絶対集まらないと言われたけど、集めるしかない!と思った。あの時はねぇ・・・俺もさぁ年がら年中突き抜けた情熱があるわけじゃないけど、燃えたね!

—-笑

体が止まってられないんだよね、ヤバイ状態だと。
どう考えても、異常者笑

俺の個人的な心境としては、目標を設定してるからそれを達成したいっていうのと、達成できなかったら凄くヤバイっていう。誰かからプレッシャーをかけられているわけじゃないんだけど、自分の中で凄くくやしい。プラスとマイナスのさ、モチベーションがドライブかかってる時って、なんとかしないとって思わなくても体が勝手に動いていて、後々振り返ったら意外とクリティカルなことをやっていたりするから。

その状態も、アントレで一度経験できてたよね。

あのチームでやってたっていうのもあるけど、一時期ね、異常にチームワークが機能してた時があって、みんな想定以上の成果を持ってくるの。

—-それって確か最後の1ヶ月だよね?

そうそう。3週間前くらいでまだ事業案が決まってなかったからね。

—-第2企業課題が迷走して脳波デバイスとか考えていて、その後チーム内コンペとか色々やっていて・・・

うん。実際にOZスコアに決まったのは2週間前だったよ。そこから異常な感じだった。

本当に目的にコミットするってなった時って不思議だよね。想定以上の行動をしてしまう。

中野から、後世に残る価値を生み出すライフスタイルを作りたい

—-りおにとってとかNPOストリートデザインの活動の最終形って何かな? 最終的に描いている中野ってどんな街? その時自分達はどうあるかっていうビジョンある?

中野ってさ、活発な人は多いんだけど、みんな口をそろえて「人が足りないっていうんだよ」。今、中野に欠けているのって横のつながりだと思うんだよね。

若い人たちとか普段参加しない人達が、活動している人達と繋がる機会とか。
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中野ってね、部分的な課題はそんなない、盛り上がっていて恵まれた街なんだけど。その中で活動している人達ってうのは、多分漠然と日本全体の閉塞感とかに対して危機感を持っていて、中野から日本を盛り上げていこうって思ってるとおもう。中野発、他の地域。

だから今やっていることのインパクトって、一つ一つは大きくなくて。色々やっているけれど。

街全体として凄いアウトプットを出して、東京、日本、世界から「中野って凄い街だよね」って言ってもらえるようにしたい

—-その為に今は色々試している段階で、目指すものっていうのは中野をモデルケースにした全国への発信?

そうそう、中野スタイル、みたいな。俺中野から新しいライフスタイルを作っていきたい

人々のライフスタイルが変わると、企業が提供するものとかが変わるだろうし。そのライフスタイルの中身次第では、提供する側も後世にまで価値のあるものを提供するようになるかもしれない。

商店街はもう確実に昔のままのモデルじゃ生き残れないし

—-そうだね。中野とか東京や京阪のアーケードが生きてるだけで、あまりうまく行っている例って聞かないよね

せっかく若い人たちがいるんだから、何か面白いことをやりたいっていう人達はいるんだけれど、そこに間口をさ、チャレンジしたい人達が何かをやれるようにしていきたい。俺が考えてるのは、次世代型の街作り。このままいったら潰れていく商店街を別の形で残していきたい。

—-中野ってやっぱ恵まれてる環境じゃん? それを、中野程にリソースに恵まれていない地域に輸出する時って、そもそもの下地っていうのが大きな壁になるんじゃないかなって。ここ、俺もすごく興味があって。全て、東京を模倣する必要はないけれども

それは・・・難しいね。俺もまだ地方都市まで考えられていないけれど・・・。

東京って放っておいても人が集まってくるけど、地方の人達からしたら、若い人たちが流出していくことになるからね。それをどうしていくかってなると、日本全体のグランドデザインって話になるんだろうけど。

少なくとも、日本全体が抱えている問題、少子高齢化とか若者がチャンス無いとか、そういうのをクリアする、ステップアップの街にできたらいいと思う。
中野に来て、色々経験して、他の街へ還元したい。

—-中野そのものが、若者のインキュベーション機能を持つってことだね?

まー、まだUターンとかIターンはそんなにいないんだけどね・・・。

—-なるほどな〜。でも俺にとって東京っていうのがそういう場所でさ。最近は「将来どの辺に移住しようかな〜」とかずっと考えていて。だから重要なんすよ、地域活性化って。 やがて自分が住むから笑

俺の今の活動って、地域活性化っていうのではないんだよね、そういう話だと。変な話中野って十分活性化してるし。だから中野から新しいものを作って発信していくっていうほうがしっくりくるかもしれない。

—-市民記者なんか、一つの成果なんじゃない?

そうだね。一つの成功事例だよね。

仕組みとか政策さえ作れば、あとは人々がどんどん新しいことをやってくれる

—-話せる範囲でいいんだけど、似たように全国に対して発信できそうなネタってある?

今、ワールドフードストリートって考えてる。2020年のオリンピック・パラリンピック見据えて、国際的なイベントをやろうと。世界中の料理を食べつくすイベント。ま、これは他でもやってるだろうからいまいちかな。

あと中野区学生議会といって、フィールドワーク形式で学生が中野の政策を考える、アントレ講座の政策版みたいなものも他のNPOと連携しながらやっている。

俺個人としての想いと、NPOの想いと、中野に住む人の想いっていうのはもちろん違うんだけど、俺は中野をクリエイティブ人材特区にしたい。

やっぱ割合は少ないけど、中野ってアーティスト系な人が多いし、中野って放っておいてもアクセスがいいから人が集まるんだけど。どんな人が中野に住みたいかっていうと、2〜30代であんまお金は無いけれど、アート系をやりたい人っていうのが多いのね。

そこで俺は更にターゲットを絞って、中野で何か面白い活動をしたいっていう人を呼びこむような政策をやってみたい。今駅前が、コワーキングスペースみたいなのもできて、ICTとコンテンツ事業で産業振興しようとしているから、俺も区外からコンテンツを生み出せるような人達が移り住むような仕掛けを作りたくて。

行政とかが自分達で直接企画とかやると、うまくいかないんだけど。そういうのがやりやすい制度を作ると、他の人がどんどんやっていくと思う。
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—-やがては、アンディ・ウォーホルがいた頃のNYCみたいにアートの街になるのかな

多分ねぇ、そんな洗練されたものはできないと思う(笑)中野が背伸びして渋谷とか六本木に集まるような人を連れてくるのって変じゃん?

—-そうだねぇ。それはもう渋谷なり六本木に行ってくれ、で

だからさ、元々中野に集まってきたような人達が、もっともっと来やすくなるようにして、活躍しやすい制度を作ればいいかな。そうすれば後は各自が勝手にやってくれると思う。

商店街の人達も、危機感を持っている人達は、若い人たちを受け入れたいって思ってて。だから本気の若者をどんどん見つけていきたい。チャレンジ制度みたいなので空き店舗とか提供したり補助を出すなら、クオリティは出してもらわないとだけどね。

—-そのクオリティを担保するのに、ちゃんと評価基準っていうのを作らないとだと思うんだけどどう?

それこそ、普段この街を歩いている人全てに審査してもらえばいいんじゃないかって。「あ、なんか面白い店がある。入ってみようかな」っていうのをね。商店街ってもともと人が通るから、そういうのができるんじゃないかと思ってる。商店街にあるアンテナショップで働いたことあるけど、お店側から見るのも凄い面白いよ。

どうしても年配の人とかのほうが、初対面でも色々話してくれる。だからそういう人達と、本気の若者を結び付けたい。

俺らの世代からすると、例えばコンビニって完全にサービスで、買うだけじゃん?コンビニは店員が代わってもなりたつけど商店街のおじさんとか代わりきかないからね。(若者や年配者の)距離感はやっぱ違うよね。そこは残すべき価値だと思う。

例えば今はさ、防災対策って声高に言われるけど、システムだけじゃ限界があって、結局つながりっていうのがないと。

—-その防災っていうのが、住民が同じ方向を向くチャンスでもあるんだと思うけど

そう、だから祭と防災を一緒にしてしまえばいいんじゃないかって。昔はそういうものじゃなかったのかな、とか思ってる。

俺にとって地域とは人とのつながりや、思い出の場所が重要。一番長く住んでいた千葉で最も思い出のあった母校が都市開発によってまったく面影がなくなった。千葉に住んでいた友達も仕事や結婚で他の地域に移り住んでいった。友達が結婚し、子どもが生まれるとお祝いで会ったりするんだけど、遠いので日常的には中々会えないし、友達の子供が育つ過程もみれない。

近くに住んでいれば、子供の成長や日々の出来事もわかちあえるし困った時にはたすけある。だから、親しい人とはなるべく近くに住みたいし、近くの人とは親しくなりたい。

夢は、両親や親しい仲間と中野に住むこと。これは完全に俺のエゴだよね、住人からしたら行政区画なんて関係ない。中野区だろうが、杉並区だろうが住みやすい場所に住む。だから、おれは中野区を今以上に住みやすい街にしたい!

(インタビュー&写真 : 宮野)